波打ち際の黒い道
具体的なモチーフを決めて撮影に出かけることはめったにないのだが、
「いつかはカメラに収めたい」そんな希望を抱き続けている被写体が、波打ち際にできる「黒い道」だ。
私がそう呼んでいるだけなのでうまく説明できないが、打ち寄せる波の白さと降り積もる雪、
その境目に見える濡れた砂が、黒い帯のようにどこまでも続いてまるで“道”のように見えることがある。
これが見えるのは相当量の雪が降っている時に限られる。
波が引いていくのを追いかけるように雪が積もり、すっかり白くなったところで、再び押し寄せる波がそれを消していく。
その繰り返しの中で、表れては消えていく刹那の黒がなんとも美しい。
かき消される砂絵のように私の内面と響きあう宇宙。
表面的な映像ではあらわせないのはわかっているのだが、不思議なときめきにカメラを出さずにいられない。
気がつけば冬の砂浜にたたずみ、何枚ものフィルムを費やしている。
しかし写るものは現実の興奮には及ばない。
カメラには数秒で雪が積もってしまう。
大きな黒い布でカメラを覆い撮影の時にさっと外すが、大型のカメラは一度セットしたら一枚しか撮影できない。
穏やかに走る波であってもイメージど通りの形を納めることは難しい。
高解像度のデジタルカメラを使おうかと考えたこともある。
連写や動画なら、写すことができるかもしれないが、
均等にあるいは機械的に記録されるものに、自分の感動や興奮を焼き付けることは、かえって難しいように思われた。
写真で表せるものは、現実を越えることはないと言う人もいる。
たしかにその経験、その空間には及ばないが、自分の心に誠実であれば、
新しい形となって命あるものが生み出されると考えている。
今回の作品は、そんな試行錯誤の中ではじめて手がかりを感じた一枚。
今年一月に撮影し、9月に仕上げたばかりだが、
息をころして受けとめたその瞬間が見えたような気がした。
撮影地は北海道最北端。
稚内から宗谷岬を回り、オホーツク海に面した道をしばらく走ると、丘陵に沿った砂浜が現れる。
美しい地形と砂の色に魅せられて何度も通ったが、
見通しのよい場所は風の通り道でもあり、少しでも吹雪くと立っていられないほどだ。
また冬の撮影に出かける時期になった。
気まぐれな天候の中で新しい被写体と出会うのだろうが、
同じモチーフを追っていても、同じ道筋をたどるとは限らない。